Archive for the ‘近畿’ Category

清水焼

Posted on 4月 30th, 2009

Posted by かおり

千年の都・京都は、歴史ある古都にふさわしいたくさんの工芸と伝統が今も脈々と息づいていますよね。そんな京都でももちろん個性あるやきものが育まれ、歴史に残る多数の名陶工が生まれているんですよ。

京都でつくられる焼き物というのは、土に根ざした雑器の土着性とも言えず、献上品としての華やかな藩窯とも明らかに異なっているわけですが、京の工芸の伝統と高い美意識を土台に、才気あふれる焼き物が誕生しているのです。新たな伝統を培う懐深い京都の職人芸というのは、今も昔も変わらないと思います。

そんな京都の焼き物ですが、桃山時代に茶道の隆盛とともに千利休好みの楽焼茶碗が始めらるのですが、それまで京都には陶器らしいものは見られなかったんだそうです。今日の京焼・清水焼には、この当時の楽焼は含まないそうです。現在、一般に呼ばれている京焼・清水焼というのは、江戸時代の初期に丹波出身の陶工・野々村仁清によって作られたんだそうです。江戸時代初期から中期に作られたものを古清水というんだそう。

そしてそんな京都の清水焼を体験できるところがあるんだそう。古くからやきものの里として賑わった東山五条坂界隈は、今も多くの陶芸作家の陶房や販売店が軒を連ねる陶芸の町。ショッピングや京焼・清水焼ならではの絵付けや作陶にトライしたい人にお勧めします。有名陶芸家の工房では、事前に予約しておけば、作家自らの指導が受けられるというまれなチャンスもあるそうですよ!ぜひ経験してみたいですよね~☆

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京焼

Posted on 3月 5th, 2009

Posted by かおり

「京焼」とは、粟田口焼、御室焼など京都で作られる陶磁器の総称で、一度焼いた後に上絵付けを施す上絵付けの技法を用いた陶器が多い。16世紀末には京焼の生産が始まっていたと考えられていますが、この頃の作品については詳しいことは伝わっていません。ただしその特徴として、低温で焼成し、鉛を含む釉薬が使用され、技法やデザインが多様なことです。

これ以前の京都は三条付近に陶磁器の問屋が集まっていたものの、本格的な生産は行われていませんでした。ただし、16世紀中頃には三彩や交趾焼などの技術を持った中国人陶工およびその後継者達が製陶を開始していました。こうしたことが、押小路焼のルーツとなったと考えられています。

京焼色絵陶器の大家、野々村仁清(ののむら にんせい)は現在の京都府南丹市美山町旧大野村の生まれで、粟田口や瀬戸で陶芸の修業をした後、京都に戻り御室(おむろ)仁和寺の門前に窯を開いたと言われています。彼は自分の作品に「仁清」の印を捺し、これが自分の作品であることを宣言しました。そうした意味で、野々村仁清は近代的な意味での「作家」、「芸術家」としての意識をもった最初期の陶工だと考えられています。

P.S.頭痛と整体には密接な関係があると考えられています。整体で身体の歪みを矯正することで、頭痛の原因を結果的に取り除くことにつながるとみられます。ただし、子供の頭痛の場合には注意が必要です。子供の頭痛の場合には、身体の歪みから慢性的な頭痛になるというよりも、何か病気が原因になって頭痛が症状として表面に出ているというケースが多いからです。

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信楽焼

Posted on 2月 7th, 2008

Posted by かおり

日本六古窯のひとつである信楽焼は、1250年の伝統を誇る日本最古の産地。
紫香楽宮の屋根瓦として焼かれたのが始まりといわれる信楽焼ですが、都は大火で消失し、室町後期の茶陶が興るまでは、種壷やする鉢などの日用雑器を作る窯として、農民の手で細々と受け継がれてきました。

釉薬を使わない土味をいかした、ぬくもりを感じさせる素朴な風合いの中に、多くの有名茶人が簡素美を見いだし、茶陶信楽焼として脚光を浴びた。
しかし、信楽が現在のような大きな窯場になったのは明治に入ってからです。
そして火鉢や灯篭などの庭置きづくりが盛んになったのは大正に入ってからです。
さらに、火鉢や植木鉢に「なまこ釉」などの窯変釉薬を施したり、模様を描いたりし始めたのは、昭和に入ってからのこと。
信楽焼は、時代とともに返還し、常に時代とともに進んできています。
即ちそれは、他の伝統的な窯業な町とは異なったあり方をしていると言えるでしょう。

素朴な美しさで、一時、茶陶として注目された信楽焼。
しかし、まもなく藩窯の伊賀焼にその地位を奪われた。
その後はもとの日用雑器に戻り、現在は、耐火力、保温力に優れた信楽の粘土より、植木鉢、花瓶、傘立、庭園用品、狸などの置物、食器、タイルを生産し、とくに適度な吸水性のある粘土は植木鉢に最適。」

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丹波立杭焼

Posted on 1月 28th, 2008

Posted by かおり

丹波焼は、瀬戸、常滑(とこなめ)、信楽(しがらき)、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、その発祥は平安時代末期から鎌倉時代のはじめ。
桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、慶長16年(1611)ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいる。

当初は、壺や甕(かめ)・すり鉢などが主製品でしたが、江戸時代前期小堀遠州等の指導により、茶入・水指・茶碗など茶器類に多くの名器を生み、後期には篠山藩の保護育成により、直作(なおさく)、一房(いちふさ)、花遊(かゆう)、一此(いちこの)等の名工が腕を競って、丹波焼の名を高めた。

明治、大正、昭和と受け継がれた丹波焼は、太平洋戦争後の苦境を乗り越え、食器・花器等の民芸品を中心とした作品作りが主です。

名称については、穴窯時代は小野原焼、登り窯時代になってからは、「丹波焼」又は「立杭焼」と呼ばれてきましたが、昭和53年(1978)「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品指定を受けました。

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京焼・清水焼

Posted on 1月 19th, 2008

Posted by かおり

桃山時代、茶道の隆盛とともに千利休好みの楽焼茶碗が始められますが、それまで京都には陶器らしいものはありませんでした。
しかし、今日の京焼・清水焼には、この当時の楽焼は含みません。現在、一般に呼ばれている京焼・清水焼は、江戸時代の初期、丹波出身の陶工・野々村仁清によって作られました。
豪華絢爛な色絵陶器である仁清独自の作風は、京都のやきもの界に影響を与え、全体が多彩な器形と華やかな色彩の色絵ものへと転換していった。
その後、尾形乾山が兄の光琳とともに仁清の作風をされに発展させいった。
これら江戸時代初期から中期に作られたものを古清水という。
仁清・乾山の二巨匠が、初めて中国や朝鮮の模倣から抜け出し、純日本風の陶器を作り出したことは偉大であり、また現在の京焼・清水焼の大きな根源はここにあるといえます。そしてその影響は、京焼・清水焼だけに留まらず、瀬戸、美濃の陶器にも、その技法は現在に至るまで受け継がれている。
都文化の蒔絵や書画・染意匠などの高い芸術性に刺激され、それらを柔軟に取り入れて他窯にない絵付けや色釉を作り出した京焼・清水焼職人の独創精神は、今も連綿と脈打っている。

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