Archive for the ‘東海’ Category

伊賀焼

Posted on 10月 8th, 2008

Posted by かおり

伊賀焼(いがやき)はその始まりが中世からだといわれており、現在の三重県伊賀市で焼かれている陶器及び炻器です。
日本でも有数の古陶であり、日本六古窯に挙げられています。

伊賀焼きを作り始めたころは、種壺、水瓶、擂り鉢など日用雑器を作っていたが、陶土の産地が山一つ隔てた近隣の信楽と同じだったことから、信楽焼と伊賀焼を区別することは殆どできなかった。
しかし、桃山時代になり、筒井定次(伊賀領主)が、阿山の槙山窯において茶入、茶壺、水指、花入等の茶の湯に用いる道具を焼き始める。
それらには、『ビードロ釉』と呼ばれている緑色の自然釉を見ることができる。
赤褐色の焼き締まった土肌に、無数の吹き出た長石粒とが重なり、質朴な中にも風流な焼き物になった。

それからあとに、小堀遠州により『遠州伊賀』と呼ばれる伊賀焼が焼かれるようになっている。
この伊賀焼は筒井定次の『筒井伊賀』に対して『筒井伊賀』と呼ばれており、瀟洒な茶器で前者とは照的である。
その後には『藤堂伊賀』と言って、藤堂高次作の伊賀焼きが発生するが、すぐに衰退をたどっていくことになる。

江戸中期になると、瀬戸や京都から陶工を招いて、施釉陶の技術が伝承された。
この時期からの伊賀焼を『再興伊賀』と呼ばれている。
それ以降は茶器がほとんど焼かれなくなり、逆に行平、土鍋、土瓶といった日用の食器が焼かれるようになっていく。

国から伝統的工芸品の指定を1982年11月に受けている。

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常滑焼

Posted on 2月 15th, 2008

Posted by かおり

日本6大古窯のひとつに数えられています。
起源は非常に古く、平安時代には須恵器が焼かれていました。
平安後期~鎌倉時代には自然釉や灰釉のかかった壷や瓶が焼かれています。
室町時代になると穴窯かた鉄砲窯に変わり、真焼という硬く焼き締めた黒褐色の壷や瓶が焼かれました。
江戸時代に入ると、天明年間(1781-1789)、渡辺弥兵衛が尾張徳川家より「常滑元功斎」の銘を下賜され、茶陶を製作しています。
その後、陶然、長三、白鶴といった名工が輩出し、常滑焼は盛んにまりました。
真焼のほか、各種の釉薬物、赤黒の楽焼、南蛮写し、藻掛けという海草を用いる手法など、各種の手法も出現。
明治初期には、鯉江方救が登り窯を導入し、その子方寿がイギリス式真焼土管を完成させて、土管を大量生産するようになりました。
明治11年に、中国人金士恒が、春門堂に滞在し、朱泥急須の技術を伝えています。
朱泥の作品はその後、常滑焼を代表するほどの人気を博するように。
また明治期から土管の製作が盛んになり、土管の生産が常滑焼の主流を占めるようになってきました。

朱泥土は、鉄分の多い粘土で、酸化状態で焼くことにより鉄分が発色して朱色に染まります。
使い込むほどに色つやが出てきます。
粘土を紐状にして積み上げる「ヨリコ造り」や、一本の印刀で図柄を彫り上げる「彫」なども常滑焼伝統の技法。

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瀬戸焼

Posted on 2月 10th, 2008

Posted by かおり

瀬戸もののルーツは平安時代です。
猿投山(さなげやま)の工人たちが瀬戸の東南部で灰釉を用いて焼いたのがはじまりだそう。
この瀬戸焼の名を全国に轟かせたのが、加藤四郎左衛門景正です。
瀬戸の人が今も「藤四郎」さんと呼び親しむ偉大な陶祖です。
中国・宋での6年の留学で製陶技術を習得し、帰国後、瀬戸で窯を開き、日本で初めて本格的な釉を施した「古瀬戸」を生み出した。
これを機に、瀬戸の陶器は全国で知られることになりますが、江戸時代初期、九州有田での磁器生産の急成長で衰退の危機にされされることに・・・。
この危機を救ったのが加藤民吉。
単身有田に渡り、磁器の製法を習得。
3年後、瀬戸へその技法を持ち帰り、従来の陶器に加え染付磁器の生産が盛んに行われ、瀬戸に再び活気が戻りました。

今も昔ながらの製法を守り続ける赤津焼は、日本六古窯のひとつに数えられる歴史あるやきもの。

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美濃焼

Posted on 2月 5th, 2008

Posted by かおり

美濃には良質の粘土が多く、平安時代よりやきものが盛んな土地。
醍醐天皇の「延喜式」にも陶器調貢の国と定められ、陶器を納めていたことが記されている。
その後も桃山時代の陶工集団、京から来た陶工や茶匠などとの交流が美濃焼を発展させた。
やがて、志野、織部などに代表される美濃焼は、利休(1591没)と茶の湯の完成によって絢爛たる時代を迎えました。
 
時代は移り、江戸期になると以前のような剛健の気風は弱まり、民衆用の雑器をつくるように。
しかし、幕末ごろに陶器の製法が九州有田より伝えられるや、その磁器原料に恵まれた風土を生かし、今までの陶器より磁器の生産に移り変わりました。
明治時代に入って、国内需要の増大と輸出貿易によって美濃陶磁器は生産を拡大し、陶磁器産業の近代化とともに飛躍発展します。

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