常滑焼
Posted on 2月 15th, 2008
Posted by かおり
日本6大古窯のひとつに数えられています。
起源は非常に古く、平安時代には須恵器が焼かれていました。
平安後期~鎌倉時代には自然釉や灰釉のかかった壷や瓶が焼かれています。
室町時代になると穴窯かた鉄砲窯に変わり、真焼という硬く焼き締めた黒褐色の壷や瓶が焼かれました。
江戸時代に入ると、天明年間(1781-1789)、渡辺弥兵衛が尾張徳川家より「常滑元功斎」の銘を下賜され、茶陶を製作しています。
その後、陶然、長三、白鶴といった名工が輩出し、常滑焼は盛んにまりました。
真焼のほか、各種の釉薬物、赤黒の楽焼、南蛮写し、藻掛けという海草を用いる手法など、各種の手法も出現。
明治初期には、鯉江方救が登り窯を導入し、その子方寿がイギリス式真焼土管を完成させて、土管を大量生産するようになりました。
明治11年に、中国人金士恒が、春門堂に滞在し、朱泥急須の技術を伝えています。
朱泥の作品はその後、常滑焼を代表するほどの人気を博するように。
また明治期から土管の製作が盛んになり、土管の生産が常滑焼の主流を占めるようになってきました。
朱泥土は、鉄分の多い粘土で、酸化状態で焼くことにより鉄分が発色して朱色に染まります。
使い込むほどに色つやが出てきます。
粘土を紐状にして積み上げる「ヨリコ造り」や、一本の印刀で図柄を彫り上げる「彫」なども常滑焼伝統の技法。

